軍政官僚として出世した桂は、兵士を指揮したことが無いのがコンプレックスだったが、第三師団の師団長として日清戦争で出兵した際には、かなり強引な指揮をして兵士を死なせたらしい。但し、桂自身は日清戦争を戦ったことを誇りに思っていたらしい。第二次桂内閣を組閣した時は、桂は明治天皇から信頼され、明治天皇は問題があると山縣有朋よりも先に桂に諮問することにしていたらしい。
本:桂太郎 人物叢書 新装版/宇野俊一/吉川弘文館
第一次桂内閣も第二次桂内閣も、元老の力を頼っていた。第三次桂内閣では、元老からの脱却、第一次、第二次政権時の政党との妥協を余儀なくされた経験から、新政党の設立などを標榜したが、内閣運営は護憲運動が高まる中、元老の力を頼り、既存政党の政友会にも頼りと、本意とは裏腹な運営となり、ついに組閣から50日という短命内閣となり、辞職後も政党運営に力を注いでいたが、程なく病に倒れ没した。