本:北畠親房/岡野友彦/ミネルヴァ書房

親房親子の陸奥下向は、護良親王の発案だということだ。親房は顕家や結城宗広らととも出羽陸奥の軍勢を率いて上洛したと思っていたが、一足先に上京していたそうだ。

尊氏が湊川合戦で楠木正成を破って京都に入って、後醍醐天皇が吉野に移ったとき親房が伊勢に下向したとき、壬申の乱をメタファーとして利用しようとして、後醍醐天皇も伊勢還幸の計画が有ったらしい。

常陸計略は最初は上手くいっていたらしい。後醍醐天皇が亡くなって、南朝内和平派が勢いを増した結果、分裂が起きて弱くなったらしい。