本:隋 「流星王朝」の光芒/平田陽一郎/中公新書

隋が滅んだのは、皇帝一族の内訌にも一因があるというが、初代皇帝の楊堅は隋では先代の北周のようなことは起こらないと言っていたようだが、結局楊堅の子供は皆、内部で殺されている。これは北朝の北方騎馬民族の習俗ではないかとのことで、隋に限らず唐でも起きている。煬帝は稀代の暴君と言われているが、南北を結ぶ運河を開鑿したのは先見の明があるし、長安だけではなく、洛陽や江都を築いたのも先見の明があるらしい。また北方の騎馬民族突厥を従えて世界帝国を築いたのも素晴らしいらしい。ただ、急ぎ過ぎて土木工事を沢山起こし、高句麗遠征を繰り返したのが致命的だったらしい。煬帝という諱も唐がつけたもので、隋の後継者は「明帝」と追贈したし、群雄の竇建徳は「閔帝」としていて悪い意味を持ってはいないrしい。