本:検証 川中島の戦い/村石正行/吉川弘文館

もともと信濃の奥郡の武士は越後と関係が深く、所領を持っていたらしい。長尾氏は信濃奥郡は自分の勢力範囲と思っていて、京都でもそのように考える向きがあったらしい。信玄があくまで信濃全国を領土にする考えを持っていたのに対し、上杉謙信は自分の範囲と思っている信濃奥郡以上に攻めることは無かったらしい。足利将軍の足利義輝からは度々両者の調停があったらしいが、領土の国切りとしては、上杉謙信の主張が認められていたらしい。上杉謙信は将軍の言うことを聞く気があるが、武田信玄は適当に聞いていて将軍の言葉を重んじて無かったらしい。川中島の戦いは一般的には5度とされているが、6度説など色々あるらしい。この本では両者の大将による衝突があったのは永禄4年の大会戦だけであり、この時に両者に甚大な被害が出たことで、ほぼ信濃一国を領有していた信玄と、飯山領だけを保持していた謙信の間で、膠着状態となったらしい。