源氏の始祖から、一旦滅亡した頼朝の父義朝までを
描く。頼義の頃に東国に進出した源氏だが決して
武家の棟梁の様な存在では無かった。
前九年の役でも頼義が率いる武士は河内などから来た少数で
勝利を決定したのは、現地の豪族の清原氏の
参戦だった。
でも、朝廷は砂金などの官物を京上しない義家を解任
しようとするなど、朝廷の評価は低く、京の武士として
名声をなんとか保とうとして戦ったらしい。
戦後は陸奥守に在住していた官物の完済に苦しみ、また兄弟間の争いにも
敗北していたが、弟の主君が急死したため、河内源氏の
嫡流の座を奪い返したらしい。
義家の死後、嫡男の義親は乱暴者だったため、平氏に撃たれて、
嫡男の為義が若年の為、河内源氏は没落する。
しかし為義は摂関家に扈従すること入金より、
復権する。そんななか、長男であるが、嫡男では
無かった義朝は関東に活路を見いだし、
さらに院に祗候することにより、父や弟たちより
昇進し、保元の乱で父や弟たちを切り、
格段の差がついていたが、恩賞として河内源氏としては破格の
天皇を抑える事で優位に立っていたが、
天皇を奪われて、元々平家と武士の動員数で劣って
いた義朝は、平氏に敗北する。
ここに至り、源氏一族は、完全に平家の
配下となるに至り、河内源氏は壊滅する。