本:遊王 徳川家斉/岡崎守恭/文春新書

子沢山として有名な十一代将軍の家斉だが、江戸時代の大名では家斉ぐらいの子供を持った大名は何人かいて、決して突出した方では無いらしい。江戸時代の幼児の生存率は高くないが、将軍家でも同じであり、その理由は乳母が御家人から選ばれ、御家人はお目見え以下であり、覆面をして授乳していたらしく、また終夜添い寝をすることもできず、掘って置かれたのが理由では無いかとのこと。家斉は、贅沢はしていないらしく、将軍の悲願と言われる日光社参はしなかった。それに対し、浜御殿には突出して遊山していたらしい。鷹揚な性格で、政治は老中に任せ、お裾分けを大名や庶民に施し、50年という長い治世を平和に治めたため、後々の時代から、よき世として振り返られたらしい。