本:立憲民政党と政党改良 戦前二大政党制の崩壊/井上敬介/北海道大学出版会

浜口雄幸が死んでから、解党までの経緯を辿る。浜口時代から、民政党衆議院議員と党外人の助力で成立していた。浜口は官僚出身ながら衆議院議員でもあるので、両者を調整してまとめることが出来たが、浜口以降の若槻や町田総裁には無理だった。浜口後は、世間の政党間の政権争いに対する政党不信を受け、政権政党から政策政党へとシフトして、挙国一致内閣に対して、与党として政策を実現する方法を取った。また、政党内の権力争いで、議会主義者の政権党派と野党化しないための政策派の争い、親英米派と東洋覇権主義派とが、それぞれ交差しながら、争いがあった。また、強力政党を作るための宇垣擁立派と政友党との連立を狙う派など、複雑な争いが続く。陸軍が政権を担い始める中、主流派の町田総裁たちは陸軍に協力しつつ自分たちの政策を通そうと努力し、日中戦争と親衛米化を目指したが、斎藤隆夫の粛軍演説に端を発し、町田総裁が斎藤を切ったことにより、解党を止められなかった。